LOGIN瑛介はいろいろな可能性を考えた。例えば、自分が彼女に話さなかったから怒っているのかもしれない。あるいは、自分が何か余計なことを言ってしまって彼女を不快にさせたのかもしれない。だが、まさか彼女が自分を責めているなんて、夢にも思わなかった。目尻にまた涙がにじみ、それを必死に抑える弥生の姿に、瑛介の胸は締め付けられるように痛んだ。もう余計なことを考える暇もなく、彼はすぐに彼女を強く抱き寄せた。「バカだな、どうして自分を責めるんだ?」弥生は彼の胸に寄りかかり、そっと瞬きをした。「これで言うべきことは言ったわ......だから、少し一人になってもいい?」瑛介は一瞬固まった。本当は放したくなかったが、彼女が一人になりたいと強く望んでいる以上、これ以上そばにいるのは逆に負担になるかもしれない。ひとまず風呂に入って気持ちを落ち着けてもらってから話せばいいと考え、彼は腕をゆるめた。「わかった。じゃあ先に風呂に入ってきて。僕は寝室で待ってる」あまりに真剣な空気の中で、不意にそんなことを言われ、弥生は重たい気持ちが一瞬ふっとんだ。寝室で待ってる?もちろん、深い意味はない。それでも弥生は、思わず変な方向に考えてしまった。彼女は瑛介を軽く押して、早く出て行くよう合図した。瑛介は彼女が勘違いしていることも、自分の発言が妙に響いてしまったことも気づかず、大人しく部屋を出ていった。彼がいなくなると、弥生は浴室の扉を閉め、背中をもたせかけてゆっくりと目を閉じた。ようやく一人になれた。記憶を失って彼に救われて以来、すべて知らないことばかりだったが、不思議と受け入れることができた。彼のそばにいるのも嫌いではなかった。ただ、やはり一緒にいるにはある程度の工夫がいる。いや、工夫というより、ここしばらく起きた出来事があまりに多く、心が落ち着かないだけかもしれない。弥生が風呂から出てきたのは、ほぼ三十分後だった。その間、瑛介はずっとベッドのそばで待っていた。最初の十分は静かに座っていられたが、やがて時間が気になり、携帯を手にして時計を見た。入浴は長いものだな。そう自分に言い聞かせ、彼は携帯を置き、催促するのをやめた。二十分経っても物音がしないと、唇をかすかに引き結び、風呂場に様子を見に行きたく
そう考えた瑛介は、思わず問いかけた。「どうしたんだ?」だが弥生は、まるで耳に入っていないかのように首を振り、黙々と傷の手当を続けた。彼女の手際は驚くほど速く、あっという間に二か所の傷口に薬を塗り終え、包帯を用意して巻き始めた。その間、瑛介は何度か話しかけようとしたが、隙を見つけられなかった。言われるままに腕を上げ、包帯の端を押さえ、従順に座っているだけ。普段はたくましく立ち回る彼が、今はまるで馴らされた動物のように頭を垂らし、優しい眼差しで弥生を見守っていた。やがて弥生が包帯を巻き終え、「終わった」と告げ、片付けを始めた。瑛介は彼女がかがんで整理する後ろ姿を見つめ、唇をきゅっと結んだまま、ゆっくりと近づいた。「片付けはいい。君はもう風呂に入ってきなさい」弥生は答えず、黙々と手を動かしていた。瑛介はついにしゃがみ込み、彼女の手首を握った。「弥生!」声は少し強く、握る手にも力がこもっていた。弥生は振りほどけず、深く息を吸い込んだ。「わかったわ。じゃあ放して、今すぐ行くから」「さっきまで平気だったのに、急にどうしたんだ?」包帯を巻いていたときは心配そうにしていたのに、今は明らかに距離を取ろうとしている。「なんでもないの」弥生は小さく首を振り、静かに言った。「先に休んで。私はお風呂に入ってくる」そう言って衣服を手に取り、浴室へ入った。ドアを閉めようとしたその瞬間、瑛介が後を追ってきて、手をかけて押し止めた。弥生は思わず眉をひそめた。「これからお風呂に入るの。何か用なの?」「君は感情を抱え込んでいるだろう? はっきり話そう」「いい」弥生は反射的に否定した。「考えすぎよ」「さっきまで泣いていたのに、その次の瞬間には何事もなかったように包帯を巻いて......その気持ちはどこへ行ったんだ?」話さなければ、すべてを自分の中に閉じ込めてしまう。それがどうなるかはわからない。だが、彼には放っておくことなどできなかった。それでも弥生は答えを避け、「今はお風呂に入りたいの」とだけ言った。再びドアを閉めようとすると、瑛介は力を込めて押しとどめ、眉をひそめた。「はっきり言わない限り、僕は帰らないぞ。中に入らなくてもいいが......この手は包帯を巻いたばかりだ。もし君
弥生はふいに胸の奥から悲しみが込み上げてきた。「お願い、もう黙ってくれない?」その声にはかすかな嗚咽が混じっていて、瑛介は思わず動きを止めた。顔を上げると、彼女の目がうるみ、涙でいっぱいになっていた。彼は衝動を抑えきれず立ち上がった。「どうしたんだ?何かまずいことを言ったか?」「弥生?怒らないでくれ。もし僕が悪いことを言ったなら、許してくれないか?」だが、その言葉は効き目がなかった。むしろ、弥生の目にたまっていた涙は一気にあふれ出し、糸の切れた真珠のように頬を伝って落ちていった。瑛介は彼女の涙にすっかりうろたえ、立ち尽くし、どうしていいかわからなくなった。「弥生......」最後には、どうにかして抱きしめようと腕を伸ばした。だが弥生は二歩ほど後ずさりし、涙に曇った瞳で彼を見つめた。「あなたの体には二つの傷がある。ひとつは古い傷、もうひとつは新しい傷。その新しい傷はこんなにひどいのに、痛いなんて一言も言わない。それどころか......」それどころか、ずっと自分を慰めてくれている。まるで傷を負っているのが自分の方であるかのように。その言葉でようやく瑛介は悟った。彼女が泣いたのは、さっき自分が何か言って傷つけたからではなく、ただ自分のことを心配して泣いていたのだ。弥生は言いながら、急に自分がわがままに思えてきた。怪我をしているのは自分ではないのに、なぜ泣いているのだろう。自分が泣けば瑛介は慌て、慰めようとしてくれる。その間にも彼の傷の手当は遅れてしまう。そう気づいた途端、彼女は心を切り替えた。素早く涙をぬぐい、瑛介の肩を押してベッドに座らせると、振り返って薬を取りに行った。瑛介がどう慰めようかと考えていた矢先のことだった。さっきまで泣いていた彼女が、次の瞬間にはしっかりと彼をベッドに押しつけ、薬を探しに向かったのだから。背を向けた弥生は、まだ涙を拭っていたが、その動きは早く、すぐに薬を手に戻ってきた。彼女が戻ってきたときには、涙の跡はすっかり消え、表情も驚くほど落ち着いていた。もし目尻や鼻先に赤みが残っていなければ、さっきの涙は自分の幻だったのではと思うほどだった。瑛介は気を落ち着けてもう一度彼女を見た。彼が何か言おうと唇を開いた瞬間、弥生に遮られた。「こっちの手を少し
瑛介のように背が高く脚の長い人がベッドに横たわると、そのほとんどを占領してしまう。そこに子ども二人を加える余地はなかった。だから、二人の子どもを抱いて一緒に寝たいという願いは、結局かなわなかった。「まあいいわ、やっぱり考えないことにする」弥生は首を振ってから、瑛介に言った。「とにかく、まずはあなたの怪我を見せて。薬はどこに置いてあるの?」そう言って、弥生は彼の荷物を探そうとした。「僕がやる」瑛介がスーツケースを下ろし、中から薬と包帯を取り出した。弥生はそれを受け取り、ベッドの方へ行った。「ここで替えるわね?」瑛介は傍らのソファに目をやったが、何も言わずにベッドの縁に腰を下ろした。彼はすでに上着を脱いでいて、薄いグレーのセーターと、その下に白いシャツを着ていた。「セーターを脱いで。平気?」「大丈夫だ」瑛介はあっさりとセーターを脱ぎ捨てた。動きはあまりにも自然で、まるで怪我人とは思えなかった。だが、セーターの下の白いシャツには赤くにじんだ血の跡が広がっていた。それを目にした弥生は、これまで彼が普段と変わらぬ様子を見せていたのは、ただ必死に我慢していただけだと悟った。血を見たせいか、彼の顔色までもが急に青白く見えて、胸が痛んだ。自分はなんて鈍感だったのだろう。もっと早く休ませるべきだったのに。そんな後悔の念から、弥生の動きは自然とせわしなくなり、身をかがめてシャツのボタンを外し始めた。彼女は他のことを考える余裕などなかった。自分の指が彼の胸元に触れていることや、瑛介がどんな表情をしているかなど、気にも留めなかった。ほどなくしてシャツのボタンをすべて外し、それを脱がせた。裸になった彼の上半身には、包帯がきつく巻かれていた。弥生はその光景に自然と眉をひそめた。さっきまで彼女の手に触れられて生まれかけた甘い衝動も、彼女が心配で眉を寄せた姿を見た瞬間に、瑛介の中から跡形もなく消えた。「そんな顔をするな。傷はまだ少し血がにじむが、昨日よりずっといい。今夜を越えれば、明日はもっと楽になる」弥生は彼を一瞥したが、言葉を発せず、そのまま包帯を解き始めた。瑛介は彼女の手首をつかんだ。「本当のことを言ってる。嘘じゃない。医者の薬はよく効いているから。昨日より体の調子がいい、
帰り道、弥生の手はずっと瑛介に握られていた。彼女の足取りはまだ少し頼りない。さっきまで二人の雰囲気は確かに甘く、しかも彼は妙なことまで言ってきた。だから弥生は、本当に何かが起こるのではと勘違いしたのだ。ところが実際には、額に軽く口づけただけで、そのまま手をつないで歩き出した。それは弥生の予想していた展開とはまったく違っていた。別に何を望んでいたわけではないが......今の胸の奥はどこか空っぽで、ぽっかりと穴が開いたようだった。弥生は胸に手を当て、自分でもおかしいと思った。「どうした?」瑛介の声が横から聞こえた。「胸が苦しいのか?」その言葉に弥生ははっとして我に返り、彼の心配そうな視線を避けながら小さな声で言った。「ううん、なんでもない」明らかに後ろめたい表情だったが、彼女が言いたくないのなら仕方がない。見たところ元気そうでもあったので、瑛介はそれ以上追及しなかった。戻ったのは、ちょうど八時ごろだった。祖父が二人を迎えに出てきた。「戻ったのか?どうだ、初めての田舎は慣れないだろう?」「いえ、田舎の空気はとてもいいです」「それは良かった」祖父はにこにこと笑った。「夜寝るときは、網戸をむやみに開けるなよ。蚊が入りやすいからな」「はい」「それから、和紀子が言っていたが、今夜はもう遅いから食事は明日に回そうってさ。夜に食べ過ぎると消化に悪くて眠りも浅くなるからな」その言葉に、弥生はちょっと驚き、同時にほっとした。「もう遅い。部屋を片付けて、早く休みなさい。明日は市がある、一緒に行こう」弥生も瑛介も頷いた。二人が部屋に入ると、弥生は思わず口にした。「やっぱり、早めに帰って正解だったわ」「そうだな」瑛介は、嬉しそうな彼女を見てたまらず、白い頬を軽くつまんだ。その感触に、胸が痛んだ。昔は柔らかくてふんわりしていたのに、今は肉がほとんどなく、細くなりすぎてしまっている。必ず、前みたいに健康な姿に戻してみせると瑛介は心の中で誓った。弥生は彼のそんな思いを知らず、ただつままれた頬を押し返しながら尋ねた。「ひなのと陽平は?今夜は一緒に寝ないの?」帰ってきたとき、二人の姿が見えなかったので、どこに行ったのか気になったのだ。「さっき聞いたが、今夜は母さんと寝
瑛介はわずかに眉をひそめた。「自分のことを心配しないのか?」その言葉を聞いた弥生は、深く考えることもなく即座に答えた。「そんなことより、私はあなたのほうが心配だよ」その言葉に、瑛介は動きを止めた。「......今、なんて言った?」「ごめんなさい」弥生は申し訳なさそうに彼を見つめた。「ここに来てから、あなたが怪我していることをすっかり忘れてたの」彼女はずっと子どものことばかり気にしていて、彼のことを完全に後回しにしてしまっていた。もし自分が彼の立場だったら、きっとつらいはずだ。弥生がそのことを理由に謝っていると知り、瑛介はどうしようもなくため息をついた。「それだけのこと?てっきり大事かと思ったよ」その言葉に、弥生の眉がきゅっと寄せられた。「こんなにひどい怪我をしていて、それが大事じゃないって?もうやめよう、戻ろうよ。薬も替えないといけないはずでしょ」そう言ってから弥生はふと聞いた。「そうだ、薬は持ってきてあるの?」彼女の瞳いっぱいに溢れんばかりの心配を見て、瑛介はこれ以上不安にさせまいと答えた。「持ってきたよ。スーツケースの中にある。あとで戻ったら自分で替えるから」「自分でできるの?」弥生はまだ納得せず、迫った。「今すぐ戻ろうよ。私が替えてあげるから」瑛介は唇を引き結び、黙り込んだ。弥生は彼の沈黙に気づき、顔を上げて見つめ返した。無言のまま困ったように見返す彼の目を見て、彼女は口を開いた。「いいでしょ。どうせあなたがそばにいるなら、私が嫌いなものが出ても全部あなたに食べてもらうから。それでいい?」それでも彼は黙ったままだった。弥生は仕方なく声を落とした。「......わかったよ。私だって本当は食べたいんだよ。こんなに痩せてるんだから、もっと食べないと。でも安心して。ちゃんと量は考えるから。食べられないときは無理しない」彼女は、瑛介が帰りたがらない理由が、彼女が親族の前で無理に食べさせられるのを嫌っているからだと分かっていた。案の定、彼女が言葉を重ねると、ようやく瑛介の気持ちが少し動いた。だが、まだその場に立ったままで、どこか不満そうだった。「どうしたの?ここまで言っても、まだダメ?」瑛介はふっと笑みを浮かべた。「いや。ただ......そういう言葉







